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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)4793号 判決 1992年10月26日

主文

一  被告報徳会は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六一年四月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告報徳会に対するその余の金員支払請求及び被告川崎市に対する金員支払請求をいずれも棄却する。

三  原告の中間確認の訴えを却下する。

四  訴訟費用については、原告に生じた分のうち二〇分の一及び被告報徳会に生じた分のうち五分の一を同被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

一  被告らは、原告に対し、各自四〇〇〇万円及びこれに対する昭和六一年四月二六日(本訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  (中間確認の訴え)

原告と被告らとの間で、被告川崎市の川崎市長保護義務者選任について同被告の機関承認手続の事実が不存在であることを確認する。

第二  事案の概要

精神衛生法(昭和二五年法律第一二三号。昭和六二年法律第九八号による改正前のもの。以下、単に「法」という。)三三条は、「精神病院の管理者は、診察の結果精神障害者であると診断した者につき、医療及び保護のため入院の必要があると認める場合において保護義務者の同意があるときは、本人の同意がなくてもその者を入院させることができる。」と規定していたところ、本件は、原告を精神病院に入院させたのが法三三条の入院(同意入院と称されていた。以下「同意入院」という。)の要件を満たしていたか否か、が主として争われている事案である。

なお、右要件に関連する法の規定は、以下のとおりである。

精神障害者とは、精神病者(中毒性精神病者を含む。)、精神薄弱者及び精神病質者をいう(法三条)。

精神障害者については、その後見人、配偶者、親権を行う者及び扶養義務者が保護義務者となる(法二〇条一項)。

保護義務者が数人ある場合において、その義務を行うべき順位は、左のとおりとする(法二〇条二項)。

一  後見人

二  配偶者

三  親権を行う者

四  前二号の者以外の扶養義務者のうちから家庭裁判所が選任した者

右各号の保護義務者がないとき又はこれらの保護義務者がその義務を行うことができないときはその精神障害者の居住地を管轄する市町村長、居住地がないか又は明らかでないときはその精神障害者の現在地を管轄する市町村長が保護義務者となる(法二一条)。

一  争いのない事実等(特記しない限り争いがない。)

1  昭和五七、八年当時(後記の本件入院当時)、

(一) 原告(昭和八年三月三日生まれの男性)は、日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)の職員として東京南鉄道管理局電気部変電課に所属し、川崎市に居住していた。法二〇条にいう後見人、配偶者及び親権を行う者はいなかつたが(妻子はなく、父母も既に死亡していて、全くの一人暮しであつた。)、扶養義務者に当たる異母兄姉が複数いた。その複数の扶養義務者のうちから家庭裁判所による保護義務者の選任はされていなかつた。

(二) 被告報徳会は、栃木県宇都宮市内に宇都宮病院という名称の精神病院を設置しており、同病院の管理者(院長)は石川文之進であつた。

2  石川院長は、同意入院(法三三条の入院)に当たるものとして、昭和五七年九月二九日から昭和五八年四月二一日まで、原告を本人の同意なくして宇都宮病院に入院させ(以下「本件入院」という。)、川崎市長は、法二一条により原告の保護義務者となるものとして、昭和五七年一〇月九日、本件入院に同意した(以下「本件同意」という。)。

(本件同意がされたのが昭和五七年一〇月九日であることについては、被告報徳会は明確には認めていないが、同被告との間では、《証拠略》によつて認められる。)

二  《証拠略》によつて認められる本件入院前の状況等

1  原告は、昭和二〇年から国鉄に勤めてきたが、その職場において、既に昭和四八年ころには対人関係が悪く孤立した存在で、また、例えば、同年一一月二〇日、当時所属していた横浜変電区の同僚に対し、職場の規律等のことで意見が合わないなどして、その顔面に赤チンを染み込ませた雑巾を押し付けるなどし、そのようなこともあつて昭和五一年一〇月に前記東京南鉄道管理局電気部変電課に配置換えになつた。

しかし、原告は、その後も、やはり職場において上司や同僚と折り合わず、特に昭和五七年夏ころ以降は、上司や同僚からいやがらせをされていると信じて疑わず、ために、机の位置やドアの開閉その他のことで頻繁かつ執拗にいざこざを起こし、ついに同年九月一三日には、上司や同僚に見せるように、壊れて片方だけになつた鋏で机の上のアクリル板を突き刺すように突いたり、牛乳びんの蓋を開けるための千枚通し様のものを机に突き立てたりしたばかりか、刃渡り一五センチメートル位で全長三〇センチメートル余りの手斧を持ち込み、これを机に打ち降ろしてアクリル板を割るなどした。

また、原告は、そのころ、職場でまともな仕事を与えられず不当な差別的扱いを受けていると信じて疑わず、ために、与えられた仕事はほとんどしないまま、国鉄当局ばかりでなく行政監理庁、法務省、運輸省及び政党等を回つて、その旨を訴え続けるなどしていた。

2  以上のような状況のもと、国鉄では、原告の上司であつた前記変電課の乙山春夫課長等が、昭和五七年七月七日から、原告のことについて中央鉄道病院精神神経科の藤谷豊医師(精神科医)等に相談するようになつた。

これに対し、同医師等は、同年九月中旬ころ、原告を同意入院させる精神病院として、国鉄の嘱託医を兼ねていた平畑富次郎医師(精神科医)が勤務する宇都宮病院を紹介した。

三  原告の主張

1  本件入院の違法

(一) 石川院長が本件入院をさせたのは、同意入院の要件を満たしていたことが認められない限り、違法というべきところ、かえつて、次のとおり右要件を満たしていなかつた。

(二) 原告は、精神障害者ではなかつたし、入院の必要もなかつた。本件入院は、国鉄が、職場における規律の乱れや不当な差別的扱い等を告発しようとしていた原告を、監禁して懲らしめるために企て、これに被告報徳会が加担して実行されたものである。

また、原告には前記のとおり扶養義務者に当たる兄姉がいて、これらの者は、行方の知れない者でも保護義務を行うことができない者でもなかつたから(姉乙山花子は川崎市《番地略》に、同丙川春子は埼玉県越谷市《番地略》に、同丁原夏子は東京都世田谷区《番地略》にそれぞれ居住し、原告と日ごろから付き合いがあつた。そして、右各所在は、原告に確認し又は住民票を調査すれば容易に判明した。)、法二一条により川崎市長が保護義務者となる場合ではなかつた。したがつて、本件同意をもつて保護義務者の同意ということはできず、本件入院には保護義務者の同意がなかつたというべきである。少なくとも、昭和五七年一〇月九日に本件同意があるまでは、いかなる意味でも保護義務者の同意はなかつた。

2  被告報徳会の責任

被告報徳会は、その被用者の石川院長が職務の執行として本件入院をさせたのであるから、民法七一五条に基づき、本件入院により原告の被つた後記損害を賠償すべき不法行為責任を負う。

3  被告川崎市の責任

(一) 川崎市長が本件同意をしたからこそ本件入院が継続されたのであるところ、川崎市長が本件同意をしたのは、次のとおり違法であつた。

(1) 川崎市長は、そもそも、前記のとおり原告の保護義務者となる場合ではなかつたのであるから、本件のような同意をすべきでなかつた。仮に一応は保護義務者となる場合であつたとしても、前記扶養義務者のうちから保護義務者が選任されるのが容易であつたから、やはり本件のような同意をすべきでなかつた。

(2) 仮にそうでないとしても、川崎市長は、保護義務者として本件のような同意をするに当たつては、医療及び保護のため入院の必要な精神障害者であるか否かを、本人や精神病院の管理者等に面談するなどして確かめるべき義務があるのに、これを怠り、前記のとおり原告は入院の必要な精神障害者ではなかつたのに、これを看過したまま本件同意をした。

(二) したがつて、被告川崎市は、国家賠償法一条一項に基づき、本件入院により原告の被つた後記損害を賠償すべき責任を負う。

4  損害

原告は、本件入院をさせられたことにより、多大な精神的苦痛を被つたところ、右苦痛を慰謝するに足りる額は四〇〇〇万円を下らない。

5  中間確認の訴えについて

原告の同意入院手続を行うには被告川崎市の川崎市長保護義務者選任手続が必要であり、この選任は同被告の機関承認手続を経て行われることが不可欠であるにもかかわらず、右機関承認手続の事実は存在しなかつた。しかるに、本件訴訟において、同被告は右不存在を明示しない。

6  よつて、原告は、被告らに対し、各自四〇〇〇万円及びこれに対する不法行為(違法行為)後の昭和六一年四月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求めるとともに、前記のとおりの中間確認を求める。

四  被告報徳会の主張

1  宇都宮病院では、事前に、乙山課長等及び藤谷医師から、前記二のような状況等を告げられて、原告を入院させてほしいと依頼されていたところ、昭和五七年九月二九日、同課長等が原告を連れてきたので、直ちに、平畑医師が、原告を診察し(同課長等から前記二のような状況等も詳しく聞いた。)、その結果、精神障害者であると診断し(なお、その時点では、病名までは確定的に診断できなかつた。)、医療及び保護のため入院の必要があると判断して本件入院をさせた。そして、本件同意を得た。

客観的にも、本件入院当時、原告は、精神障害者であり(具体的には精神病質者であつた。)、医療及び保護のため入院の必要があつた。

2  右のとおりで、本件入院は同意入院の要件を満たしていた。

なお、本件入院当時、原告には扶養義務者に当たる兄姉が複数いたが、そのうちから家庭裁判所による保護義務者の選任はされていなかつたのであるから、川崎市長が保護義務者となる場合であつたことは明らかであり、本件同意は保護義務者の同意として有効である。

五  被告川崎市の主張

1  本件入院当時、原告には扶養義務者に当たる兄姉が複数いたが、そのうちから家庭裁判所による保護義務者の選任はされていなかつたのであるから、川崎市長が保護義務者となる場合であつたことは明らかである。

また、川崎市長としては、右選任がされるようにすべき義務はなく、かえつて、現実に右選任がされていない以上、保護義務者としてその義務の履行をすべき立場にある。なお、被告川崎市では、右兄姉の所在について、担当の丙川松子職員が、乙山課長から不明であると聞かされていたし、宇都宮病院の担当者から原告本人も不明と言つていると聞かされた。

2  仮に、原告が入院の必要な精神障害者ではなかつたとしても、以下のような事情に照らすと、本件同意をしたのが、違法であるとか過失があるとはいえないことは明らかである。

すなわち、昭和五七年九月末ころ、宇都宮病院から川崎市長宛に、原告はパラノイヤ(妄想症)で入院の必要があると診断された旨記載された「保護義務履行申請書」が送付されてきたところ、その専門家の診断に疑いを抱くような事情は全くなかつたばかりか、これに先立つて同月一六日、乙山課長等が、被告川崎市の幸保健所に来て、丙川職員に対し、前記二のような状況等のほか、中央鉄道病院の精神科医が精神障害者で入院させる必要があると述べている旨を告げていた(前記手斧の写真も示した。)のである。

第三  判断

一  人をその同意なくして精神病院に入院させるのは原則として違法であり、本件において、石川院長が原告をその同意なくして宇都宮病院に入院させたのは、同意入院(法三三条の入院)の要件を満たしていたことが認められない限り、違法というべきである。

そこで、以下では、まず、本件入院が同意入院の要件を満たしていたか否かを検討する。

二  本件入院及び本件同意の経過

《証拠略》によれば、以下のとおり認められる。

1  前記第二、二のとおりであつたので(藤谷医師は、原告は精神障害者であり精神病院に入院させる必要があると述べていた。)、乙山課長等は、事前に、平畑医師に対し、前記手斧の件等を話して、原告を宇都宮病院に入院させて欲しいと依頼しておいたうえ、昭和五七年九月二九日、原告を車に乗せて同病院まで連れて行つた。なお、その際、車に乗せる前に、藤谷医師が鎮静剤・睡眠剤を注射した。

右同日、宇都宮病院では、平畑医師が原告の診察に当たつた。そのとき、原告本人は右注射のため意識が朦朧としていて問診に応じられる状態にはなかつたが、同行していた乙山課長等が前記第二、二のような状況等を説明し(前記手斧の写真も示した。)、その結果、同医師は、原告は精神障害者であり医療及び保護のため入院の必要があると判断した(もつとも、この段階では、病名まで確定的に診断したわけではない。)。そこで、原告は直ちに入院させられた。

石川院長(精神科医)は、原告につき、遅くとも同年一〇月六日までに、平畑医師から報告を受けたほか自らも診察して、精神障害者であり医療及び保護のため入院の必要があると判断した(同院長が右同日以前にどのような関与をしていたのかは、必ずしも定かでない。)。

2  他方、乙山課長等は、戸籍(除籍)謄本等を調査した結果、原告に異母兄姉が数人いるらしきことは分かつたが、それらの者の所在が分からなかつたので、同年九月一六日、被告川崎市の幸保健所を訪ね、丙川松子職員に対し、前記第二、二のような状況等と右のような身上関係を説明したうえ(前記手斧の写真も示した。)、原告を精神病院に入院させるにつき川崎市長が保護義務者として同意してくれるかどうか相談した。これに対し、丙川職員は、とにかく入院先の精神病院が入院が必要だという判断をしてからのことだ、という趣旨のことを答えた。

前記の同月二九日に右のような事情を乙山課長等から聞いた宇都宮病院では、直ちに(もつとも、原告を入院させた後であつた。)、本件入院につき川崎市長に保護義務者として同意してもらうべく、同市長の記名押印をしてもらうだけにして作成した「精神病院(仮)入院同意書」を送付した(日付も昭和五七年九月二九日と記入していた。)。これに対し、被告川崎市では、事前に「保護義務履行申請書」を提出してもらつたうえで同意するかどうか判断する扱いであつたので、丙川職員が、同病院の担当者に電話でその旨を告げたうえ(そのときも、同意するかどうかには触れなかつた。)、右「申請書」の用紙を送付した。なお、右電話のとき、丙川職員は、原告本人も兄姉の所在は分からないと言つている、と聞いた。

そこで、宇都宮病院では、石川院長名義で、右「申請書」に、原告については平畑医師がパラノイヤで入院の必要があると診断したが、保護義務者がいない旨を記載したうえ、これを同年一〇月四日ころ幸保健所に送付した(パラノイヤとは、妄想症と訳され、精神障害があることを示している。)。これに対し、被告川崎市では、審査のうえ、同月九日、前記「同意書」に川崎市長の記名押印をして(なお、前記日付欄に「昭和五七年一〇月九日市長印押印日」と付記した。)、これを同病院に送付した。

3  本件入院中、宇都宮病院では、主として石川院長及び平畑医師が、原告につき、病名を確定的に診断すべく診察を継続するとともに、薬物療法及び作業療法のほかいわゆる精神療法を施したが、その中でも、原告は、職場でいやがらせをされ不当な差別的扱いを受けてきたなどと主張し続け、石川院長や平畑医師から別の解釈もあり得るのではないかと言われても、頑として考えを変えようとせず、前記手斧の件等についても、上司や同僚からいやがらせで机を動かされることのないようやむを得ずしたことであるなどと述べて、その正当性を主張した。もとより原告には、自己が異常であるとか病気であるとかの意識は全くなかつた。

三  本件同意があつた昭和五七年一〇月九日までの入院について

1  同意入院の要件は、保護義務者の同意の点も含めて、入院をさせるときまでに満たされていなければならないことはいうまでもなく、例えば、入院後に保護義務者の同意があつたとしても、右同意後の入院状態が適法になる場合があることは別として、右同意前の入院状態が遡つて適法になるものではないというべきである。

同意入院の実情としては、複数の扶養義務者のうちから家庭裁判所による保護義務者の選任がされ、その者が保護義務者として同意するのが入院後になるという事例もあつたようであるが、しかし、同じく強制入院でありながら、法二九条(知事による措置入院)が「二人以上の精神衛生鑑定医の診察を経て、……」「各精神衛生鑑定医の診察の結果が一致した場合でなければならない」としているのに対し、法三三条(保護義務者の同意による入院)が「精神病院の管理者は、診察の結果……」としているのは、同意入院が精神障害者の医療及び保護という主として本人の利益のための制度であることに鑑み、措置入院の場合ほど厳格な診察・診断は要求しないとしても、保護義務者の同意を条件として当該精神障害者の利益を確保しようとする趣旨であると解される。右のような趣旨からすれば、事前に保護義務者の同意を要することは明らかであろう(前記改正後の精神保健法三三条二項(扶養義務者の同意)は、この事理を当然の前提にしたうえで改正された条項であると考えられる。)。

右のような保護義務者の同意の趣旨からすると、入院後に保護義務者の同意があつた場合でも、右同意が、入院後であることを認識したうえでそのまま入院を継続させることに同意する意思でされた場合には、他の要件を満たしている限り、右同意後の入院状態は適法になると解される(もつとも、当該入院に至る経過及び入院開始時から保護義務者の同意があるまでの期間等を総合考慮したとき、改めて初めから入院の手続をとらせるのでなければ保護義務者の同意を要求した法の趣旨が没却されるという場合は、別論である。)。

以上のとおりであるところ、本件入院については、昭和五七年一〇月九日に本件同意があるまでは、いかなる意味でも保護義務者の同意はなかつたことが明らかであるから、少なくともそれまでの入院は、その余について判断するまでもなく、違法であつたというべきである。

2  右に加えて、同意入院をさせるに当たつての診察及びその結果に基づく精神障害者であることの診断は、精神病院の管理者が行わないで他の精神科医に委ねて差し支えないが、医療及び保護のため入院の必要があることの判断は、精神病院の管理者自らが自己の責任において行うべきものであつて、本件入院については、前記のとおり、石川院長は、同月六日までには右判断をしたものの、それ以前において右判断をしたのかどうか定かでなく、この点においても適法性に疑問があるといわざるを得ない。

四  本件同意があつた昭和五七年一〇月九日以降の入院について

1  本件同意をもつて保護義務者の同意といえるかについてみるに、本件入院当時、原告には、後見人、配偶者及び親権を行う者はなく、扶養義務者に当たる兄姉が複数いたが、そのうちから家庭裁判所による保護義務者の選任はされていなかつたのであるから、法二一条にいう「前条第二項各号の保護義務者がないとき」に該当し、川崎市長が保護義務者となる場合であつたというべきであり、本件同意をもつて保護義務者の同意ということができる。

なお、仮に原告主張の如く右選任が容易であつたとしても、現実に選任がされていない以上、右結論は左右されない。

また、本件同意が、入院後であることを認識したうえでそのまま入院を継続させることに同意する意思でされたことは、前認定事実からして明らかである。

2  そして、前認定のとおり、宇都宮病院では、原告について、昭和五七年九月二九日、平畑医師(精神科医)が診察の結果に基づいて精神障害者であると診断し、かつ、遅くとも同年一〇月六日までに、管理者の石川院長が医療及び保護のため入院の必要があると判断した。

そうとすると、右の診断及び判断が客観的にも正当であつたと認められるならば、本件同意があつた同月九日以降の本件入院は同意入院の要件を満たし適法であつたといえる(前記三1で述べた、改めて初めから入院の手続をとらせるのでなければ保護義務者の同意を要求した法の趣旨が没却されるという場合に当たるか否かについては、後に述べる。)。

なお、同意入院においても、少なくとも任意の入院契約の外形がなければならないが(例えば、精神病院の管理者が、一般社会に存在する精神障害者を、誰からも入院の申込みをされないのに入院させる、というようなことは到底許されない。)、本件入院については、全くの一人暮らしの原告について職場の上司に当たる乙山課長等から入院の申込みがあつたのであるから、右要件も満たされていたといえる。

3  そこで、右の診断及び判断が客観的に正当であつたかどうかを検討するに、特に前記の昭和五七年九月一三日の手斧の件等は、いかなる事情があつたにせよ、それ自体、極めて異常で、かつ、他害の危険さえ感じさせる行動というほかはないのであり、それだけで、性格・人格の異常さをうかがわせるし、そのまま放置してはおけない状態にあることをうかがわせるところ、前記事実に、《証拠略》を併せると、以下のとおり認められる。

原告は、前記のとおり、職場において上司や同僚からいやがらせをされているとか、職場でまともな仕事を与えられず不当な差別的扱いを受けていると信じて疑わなかつたのであるが、客観的には、特にそのような事実はなかつたのであり、本件入院当時、原告は、迫害妄想(妄想とは、意味の取り方の誤り、意味付けの誤り、判断の誤り、誤つた強い信念であり、それが誤りであることは客観的には明白でありながら、当人は真実で正しいと信じて疑わないもの。)とか好訴妄想(他から権利侵害を受けていると妄想して執拗に訴えるもの。)があつて、少なくとも精神病質(異常な性格・人格で、その異常さのために自ら悩み、あるいは社会を悩ますもの。)で、精神障害者であつた。そして、職場における上司や同僚との軋轢が深刻化し、ついには極めて異常で他害の危険さえ感じさせる行動もみられたのであつて、医療及び保護のため入院の必要もあつた。

なお、平畑医師及び石川院長も、右とほぼ同様の考えで前記のような診断ないし判断をした。もつとも、平畑医師がパラノイヤ(妄想症)ないし精神病質と診断したのに対し、石川院長は精神分裂病と診断したのであるが、一般に専門家の間において、精神障害者であることの診断ににおいては一致するものの、それが精神病であるのか精神病質であるのか、精神病であるとして病名は何かというような更に個別的、各論的な診断になると微妙に見解の相違が生じることは、珍しいことではないようである。

以上のとおり認められ、右認定事実によれば、前記2の診断及び判断は客観的にも正当であつたと認められる。

4  以上のとおりであるし、前認定の本件入院に至る経過及び本件入院開始時から本件同意があるまでの期間等を総合考慮すると、改めて初めから入院の手続をとらせなくても保護義務者の同意を要求した法の趣旨は没却されないといえるから、結局、本件入院のうち本件同意があつた昭和五七年一〇月九日以降は、同意入院の要件を満たし適法であつたということができる。

五  被告報徳会の責任について

以上の次第で、本件入院のうち、本件同意がされた昭和五七年一〇月九日以降は適法であつたが、それまでは違法であつたというべきであり、本件入院をさせた石川院長の使用者たる被告報徳会は、右違法な入院(右同日前の入院)により原告の被つた損害を賠償すべき不法行為責任を負う。

右違法な入院により原告が精神的苦痛を被つたことは容易に推認されるところ、右苦痛を慰謝するに足りる額は、本件にあらわれた諸般の事情を斟酌すると、一〇〇万円をもつて相当と認める。

よつて、同被告に対する金員請求については、一〇〇万円及びこれに対する不法行為後の昭和六一年四月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においてのみ理由がある。

六  被告川崎市の責任について

川崎市長が保護義務者となる場合であつたことは前記のとおりであるし、仮に原告主張の如く前記扶養義務者に当たる兄姉のうちから家庭裁判所による保護義務者の選任がされるのが容易であつたとしても、現実に右選任がされていない以上、川崎市長が保護義務者としてその義務の履行をするのは、法に準拠するものであつて、何ら違法をきたすものではない。なお、前認定のような経過のもとでは、前記扶養義務者に当たる兄姉の所在が不明であると川崎市長が考えたことに格別落ち度はなかつたと認められる。

また、前記のとおり原告は医療及び保護のため入院の必要な精神障害者であつたのであるから、これと異なる前提に立つて本件同意の違法をいう点は、その余について検討するまでもなく理由がない。なお、保護義務者としては、医療の専門家によつて医療及び保護のため入院の必要な精神障害者であると判断されている以上は、その判断に疑いを抱くような事情が存在しない限り、右判断を尊重しこれを正当と信じて行動したとしても、これをもつて違法ということはできないのであつて、前認定のような経過のもとでは、川崎市長として、宇都宮病院が入院の必要な精神障害者であると判断したことに疑いを差し挟むような事情は存在しなかつたと認められる。

よつて、同被告に対する金員請求は全部理由がない。

七  中間確認の訴えについて

民訴法二三四条の要件であるいわゆる先決性及び係争性が認められないばかりか、事実の確認を求めるものに過ぎないから、不適法として却下を免れない。

東京地方裁判所民事第一四部

(裁判長裁判官 大藤 敏 裁判官 貝阿弥 誠 裁判官 原 克也)

《当事者》

《住所略》

原 告 甲野太郎

《住所略》

被 告 川崎市

右代表者市長 高橋 清

右訴訟代理人弁護士 掘家嘉郎

右訴訟復代理人弁護士 石津廣司

《住所略》

被 告 医療法人報徳会(社団) (以下「被告報徳会」という)

右代表者理事長 廣瀬正義

右訴訟代理人弁護士 荒木和男 同 釜萢正孝 同 近藤良紹 同 早野貴文

右訴訟復代理人弁護士 田中裕之 同 宗万秀和

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